小説「下町ロケット」の名言集|池井戸潤
池井戸潤の小説「下町ロケット」の名言を集めてみました。 以下、「下町ロケット」(池井戸潤)の小説より引用。
「良い歳して夢みたいなこと言うな」って銀行に笑われて、 だがな、良い歳したおっさんが夢見て何が悪い、 町工場が夢見て何が悪いんだ!
銀行に見捨てられ、取引先からも見放され、 それでもまだこの製作所にはまだ君たちがいる。 だから俺は戦うことにした。
どんな難問にも必ず答えがある。 みんなの力をどうか貸して欲しい。
なぁ知ってるか? 大福をはじめに発明したのは、 江戸時代に貧しい暮らしを送っていた女でな。 金がなくて、どうにかして餅を売らなきゃいけないって時に、 餡子を入れて売ることを思ったそうだ。 発明なんてそんなもんさ。 ちょっとした所から生まれるんだよな。
ナカシマだろうと、佃だろうと、そんなことどうだっていいんだ! みんながこれまで必死に培ってきた技術や志を、 次の世代に繋げていってもらいたい。 技術進歩が止まってしまったら、世の中の発展はない。
ロケット工学を志す者にとって、 このロケットエンジンというのは、 人間の知力・想像力をはるかに超えた製造物であって、 いわば神の領域と、こう言っていい。 この未知なる分野に、挑戦しようとする熱意は、 何ものにも変えがたい。 尊いものであって、その情熱は終生忘れないで欲しい。
俺が銀行に入ったのは、能力や技術はあるのに、 日の目の見ない企業を助けたかったからです。 銀行員として、ものづくり日本の手助けをしたかったからです。
社長、あなたは夢に愛されている。 だから! 逃げちゃいけない。お願いだから、諦めないでください。 銀行員の端くれとして何百の会社を見てきた。 佃製作所は良い会社です! 守りたいんだ。
社員数1万5000人、年商6000億、1部上場、それがどうした。 この佃製作所には、そんなものとは比較できない、 世界に通用する技術力がある。 それを培ってきた。 最高の社員たちがいる。 その宝を、ナカシマなんぞに渡してたまるか。
白水銀行さんとの取引は親父の頃から20年になるんです。 私だっておたくに頼まれればそれに答えてきました。 お互い信頼関係あっての取引だったはずです。 それなのに一番助けて欲しいときに手のひらを返すなんて、 それでメインバンクと言えますか。
当行としてはあなたの道楽にお金を出すわけにはいきません。 何年付き合ってきたとか、信頼関係がどうのって、融資ってのは、そんなもんじゃないッ、ビジネスです。
私の裁判での勝率ご存知ですか? 8割です。 残りの2割は勝訴に限りなく近い和解です。 何故だと思います? 負ける裁判をしないからです。
私は常々、世の中には二つの規律があると思っています。 倫理と法律です。 人間が滅多なことに殺人を起こさないのは、 法律で決められているからじゃない、 そんな事しちゃいけないっていう倫理に支配されているからですよ。 でも会社は違う。会社に倫理なんて必要ない、 法律さえ守っていれば何をしたって罰せられることはない。 やり方次第で相手企業の息の根を止めることだって出来る。
あんたみたいな偉そうな弁護士はどうか知らない。 技術者は自分の無力さを知ってるよ。 毎日壁にぶつかってばかりだ。 だからこそ毎日必死に腕を磨いて、徹夜で開発に没頭している。 次こそはって信じている。
私が今日、娘のことで喜びを感じたのは、特許のおかげじゃない。 「このシワをどうやったらもっと簡単にのばせるか」 ただそれだけを思って、 アイロンを作り上げた技術者の想いがあったから。 そういう技術者の想いを守るために特許があるべきなのに、 それに振り回されて、金のことしか考えられなくなった、 そこに技術の進歩はありません。
難しいからこそ、やる価値があるんだ。 どんな難問にも、必ず答えはある。 挑戦すれば、必ず答えは出せる。 私は、そう信じているんです。
難しいからこそ、やる価値があるんだ。 どんな難問にも、必ず答えはある。 挑戦すれば、必ず答えは出せる。 私は、そう信じているんです。
たとえこの裁判に負けたとしても、 ナカシマに特許を奪われたとしても、屁でもありません。 培ってきた技術力だけは奪えない。 正義は我にありだ。
何かを成し遂げようとする夢の前では、 大企業も中小企業も、帝国重工も佃製作所もない!
技術者はみんな自分の無力さを知ってるよ! 毎日、壁にぶつかってばかりだからな。 だからこそ、必死に腕を磨いて、徹夜で開発に没頭して、 次こそはって信じて、ものをつくり続けてるんだ! なんでかわかるか?おもしろいんだよ。
俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。 一階部分は飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、 生活していくために働く。だけどそれだけじゃあ窮屈だ。 だから仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。 夢だけ追っかけても飯は食っていけないし、 飯だけ食えても夢がなきゃつまらない。 お前だって、ウチの会社でこうしてやろうとか、 そんな夢あったはずだ。それはどこに行っちまったんだ
自分のためではなく、 家族や社員のために働いている ーそう考えることで、 自分は心のどこかにある挫折感を打ち消そうとしていたのではないか その選択は、当時研究者として 袋小路にさまよい混んでいたことにとって、 単なる「逃げ」に過ぎなかったのではないか。 オレは、もっと自分の夢のために生きてもいいのかもしれない。 そうすることで逃げるだけの人生には ピリオドを打てるかもしれない。 いや、そうすることでしか、ピリオドを打つことはできないはずだ。